何が問題とされたのか?
事案は、民法750条では「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」と規定されているところ、この規定は憲法13条、14条1項、24条1項及び2項等に違反し、改廃する立法措置をとらないという立法不作為の違法だと主張して、国に対し、国家賠償法1条1項に基づき損害賠償を求めたものです。
マスコミでも広く報道された裁判であり、最高裁は、平成27年12月16日、憲法に違反するものではないとする判決を下しました。
判決文は裁判所HPで公開されており、長文ですがそう難しい文章ではありませんので、興味のある方はそちらをご覧ください。
最高裁判決(多数意見)の内容
多数意見は、憲法24条適合性につき、次のように判示しました。
「(1)ア 婚姻に伴い夫婦が同一の氏を称する夫婦同氏制は、旧民法(昭和22年法律第222号による改正前の明治31年法律第9号)の施行された明治31年に我が国の法制度として採用され、我が国の社会に定着してきたものである。前記のとおり、氏は、家族の呼称としての意義があるところ、現行の民法の下においても、家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ、その呼称を一つに定めることには合理性が認められる。
そして、夫婦が同一の氏を称することは、上記の家族という一つの集団を構成する一員であることを、対外的に公示し、識別する機能を有している。特に、婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となるということがあるところ、嫡出子であることを示すために子が両親双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があると考えられる。また、家族を構成する個人が、同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できるところである。さらに、夫婦同氏制の下においては、子の立場として、いずれの親とも等しく氏を同じくすることによる利益を享受しやすいといえる。
加えて、前記のとおり、本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではなく、夫婦がいずれの氏を称するかは、夫婦となろうとする者の間の協議による自由な選択に委ねられている。
イ これに対して、夫婦同氏制の下においては、婚姻に伴い、夫婦となろうとする者の一方は必ず氏を改めることになるところ、婚姻によって氏を改める者にとって、そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり、婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用、評価、名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。そして、氏の選択に関し、夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば、妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じているものと推認できる。さらには、夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるために、あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することもうかがわれる。
しかし、夫婦同氏制は、婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく、近時、婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっているところ、上記の不利益は、このような氏の通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得るものである。
ウ 以上の点を総合的に考慮すると、本件規定の採用した夫婦同氏制が、夫婦が別の氏を称することを認めないものであるとしても、上記のような状況の下で直ちに個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認めることはできない。したがって、本件規定は、憲法24条に違反するものではない。」
尚、選択的夫婦別氏制につき次のように判示しています。
「(2) なお、論旨には、夫婦同氏制を規制と捉えた上、これよりも規制の程度の小さい氏に係る制度(例えば、夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制)を採る余地がある点についての指摘をする部分があるところ、上記(1)の判断は、そのような制度に合理性がないと断ずるものではない。上記のとおり、夫婦同氏制の採用については、嫡出子の仕組みなどの婚姻制度や氏の在り方に対する社会の受け止め方に依拠するところが少なくなく、この点の状況に関する判断を含め、この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならないというべきである。」
岡部喜代子裁判官の反対意見
多数意見に対し、岡部喜代子裁判官は次のように、民法750条は憲法24条に違反するとの意見を述べています。
「(2) 本件規定の現時点の憲法24条適合性
ア ところが、本件規定の制定後に長期間が経過し、近年女性の社会進出は著しく進んでいる。婚姻前に稼働する女性が増加したばかりではなく、婚姻後に稼働する女性も増加した。その職業も夫の助けを行う家内的な仕事にとどまらず、個人、会社、機関その他との間で独立した法主体として契約等をして稼働する、あるいは事業主体として経済活動を行うなど、社会と広く接触する活動に携わる機会も増加してきた。そうすると、婚姻前の氏から婚姻後の氏に変更することによって、当該個人が同一人であるという個人の識別、特定に困難を引き起こす事態が生じてきたのである。そのために婚姻後も婚姻前の氏によって社会的経済的な場面における生活を継続したいという欲求が高まってきたことは公知の事実である。そして識別困難であることは単に不便であるというだけではない。例えば、婚姻前に営業実績を積み上げた者が婚姻後の氏に変更したことによって外観上その実績による評価を受けることができないおそれがあり、また、婚姻前に特許を取得した者と婚姻後に特許を取得した者とが同一人と認識されないおそれがあり、あるいは論文の連続性が認められないおそれがある等、それが業績、実績、成果などの法的利益に影響を与えかねない状況となることは容易に推察できるところである。氏の第一義的な機能が同一性識別機能であると考えられることからすれば、婚姻によって取得した新しい氏を使用することによって当該個人の同一性識別に支障の及ぶことを避けるために婚姻前の氏使用を希望することには十分な合理的理由があるといわなければならない。このような同一性識別のための婚姻前の氏使用は、女性の社会進出の推進、仕事と家庭の両立策などによって婚姻前から継続する社会生活を送る女性が増加するとともにその合理性と必要性が増しているといえる。現在進行している社会のグローバル化やインターネット等で氏名が検索されることがあるなどの、いわば氏名自体が世界的な広がりを有するようになった社会においては、氏による個人識別性の重要性はより大きいものであって、婚姻前からの氏使用の有用性、必要性は更に高くなっているといわなければならない。我が国が昭和60年に批准した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に基づき設置された女子差別撤廃委員会からも、平成15年以降、繰り返し、我が国の民法に夫婦の氏の選択に関する差別的な法規定が含まれていることについて懸念が表明され、その廃止が要請されているところである。
イ 次に、氏は名との複合によって個人識別の記号とされているのであるが、単なる記号にとどまるものではない。氏は身分関係の変動によって変動することから身分関係に内在する血縁ないし家族、民族、出身地等当該個人の背景や属性等を含むものであり、氏を変更した一方はいわゆるアイデンティティを失ったような喪失感を持つに至ることもあり得るといえる。そして、現実に96%を超える夫婦が夫の氏を称する婚姻をしているところからすると、近時大きなものとなってきた上記の個人識別機能に対する支障、自己喪失感などの負担は、ほぼ妻について生じているといえる。夫の氏を称することは夫婦となろうとする者双方の協議によるものであるが、96%もの多数が夫の氏を称することは、女性の社会的経済的な立場の弱さ、家庭生活における立場の弱さ、種々の事実上の圧力など様々な要因のもたらすところであるといえるのであって、夫の氏を称することが妻の意思に基づくものであるとしても、その意思決定の過程に現実の不平等と力関係が作用しているのである。そうすると、その点の配慮をしないまま夫婦同氏に例外を設けないことは、多くの場合妻となった者のみが個人の尊厳の基礎である個人識別機能を損ねられ、また、自己喪失感といった負担を負うこととなり、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した制度とはいえない。
ウ そして、氏を改めることにより生ずる上記のような個人識別機能への支障、自己喪失感などの負担が大きくなってきているため、現在では、夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるためにあえて法律上の婚姻をしないという選択をする者を生んでいる。
本件規定は、婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものである。しかし、婚姻は、戸籍法の定めるところにより、これを届け出ることによってその効力を生ずるとされ(民法739条1項)、夫婦が称する氏は婚姻届の必要的記載事項である(戸籍法74条1号)。したがって、現時点においては、夫婦が称する氏を選択しなければならないことは、婚姻成立に不合理な要件を課したものとして婚姻の自由を制約するものである。
エ 多数意見は、氏が家族という社会の自然かつ基礎的な集団単位の呼称であることにその合理性の根拠を求め、氏が家族を構成する一員であることを公示し識別する機能、またそれを実感することの意義等を強調する。私もそのこと自体に異を唱えるわけではない。しかし、それは全く例外を許さないことの根拠になるものではない。離婚や再婚の増加、非婚化、晩婚化、高齢化などにより家族形態も多様化している現在において、氏が果たす家族の呼称という意義や機能をそれほどまでに重視することはできない。世の中の家族は多数意見の指摘するような夫婦とその間の嫡出子のみを構成員としている場合ばかりではない。民法が夫婦と嫡出子を原則的な家族形態と考えていることまでは了解するとしても、そのような家族以外の形態の家族の出現を法が否定しているわけではない。既に家族と氏の結び付きには例外が存在するのである。また、多数意見は、氏を改めることによって生ずる上記の不利益は婚姻前の氏の通称使用が広まることによって一定程度は緩和され得るとする。しかし、通称は便宜的なもので、使用の許否、許される範囲等が定まっているわけではなく、現在のところ公的な文書には使用できない場合があるという欠陥がある上、通称名と戸籍名との同一性という新たな問題を惹起することになる。そもそも通称使用は婚姻によって変動した氏では当該個人の同一性の識別に支障があることを示す証左なのである。既に婚姻をためらう事態が生じている現在において、上記の不利益が一定程度緩和されているからといって夫婦が別の氏を称することを全く認めないことに合理性が認められるものではない。
オ 以上のとおりであるから、本件規定は、昭和22年の民法改正後、社会の変化とともにその合理性は徐々に揺らぎ、少なくとも現時点においては、夫婦が別の氏を称することを認めないものである点において、個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超える状態に至っており、憲法24条に違反するものといわざるを得ない。」
コメント
多数意見は、夫婦同姓とし、且つ、例外を許さない民法750条は憲法に違反しないとしました。この多数意見を支持したのは、寺田逸郎裁判官、千葉勝美裁判官、大谷剛彦裁判官、大橋正春裁判官、小貫芳信裁判官、山本庸幸裁判官、山崎敏充裁判官、池上政幸裁判官、大谷直人裁判官、小池裕裁判官の10名です。
これに対し、憲法24条に違反するとしたのは、岡部喜代子裁判官、櫻井龍子裁判官、鬼丸かおる裁判官、山浦善樹裁判官、木内道祥裁判官の5名です。
最高裁裁判官15名の内女性は3名いますが、女性裁判官は全員、夫婦同姓を強制する民法750条は憲法24条に違反するとの意見であり、山浦善樹裁判官、木内道祥裁判官も憲法違反だとしています。
多数意見の10名の裁判官は、全員男性であり、結婚に際して妻の氏を称した方はいらっしゃらないのではないかと思われます(全員かどうか未確認ですが)。この内、半分の裁判官でも妻の氏を称しているのであれば、説得力があるのですが。
関心のある方は、是非、最高裁判決の多数意見、補足意見、反対意見をお読みいただき、考えていただきたいと思います。
(弁護士 井上元)